葵上班女ポスター

葵上/班女パンフレットより


演出ノート「愛する考」

人はなぜ愛するのだろう?

愛することは理屈ではなく、むしろ不条理に近しい。

理由なんかないのである。そして、愛は狂気にも近しい。

愛する人は、傍でみたら病気である。苦しんでるのは分かるが、

どうしてやることも出来ない。治療が出来るのは、愛されている

その人しかいない。しかし、愛されている人は、決まっていつも

残酷である。

「愛は絶望からしか生まれない」

三島由紀夫の小説の一節である。逆説的一文ではあるが、三島の作品に

出てくる愛は、大概において絶望が前提としての愛である。

この言葉のなかの「愛」を「死」と置きかえたらどうなるだろう。

「死は絶望からしか生まれない」

あまりに当たり前の文言になってしまう。

だが、考えてみると「愛」と「死」は、つねに置きかえ可能な対象として、

物語のなかに現われるような気がする。古今東西さまざまな物語で、

「愛」と「死」は隣り合わせである。


「死とは生の唯一の様式なのである」

これもまた三島の小説の一節だが、逆説的だが三島の作品に出てくる死は、

まさに生きていくための様式として存在している。ここでもまたシツコク

「死」と「愛」の置きかえをしてみる。

「愛とは生の唯一の様式なのである」

実人生でこんなことが言えるのは、美輪明宏さんくらいだろうが、

物語の世界では、まさに愛こそがたった一つの生き方だったりする。


「最高の瞬間の表現は、死に俟たなければならない」

またもや三島の小説の一節、そして、これもまた「死」についての言葉である。

実人生でこんなことを言えるのは、きっと三島由紀夫という人だった。

そうしてこの言葉を実行したのも彼だった。


これからしばらく、彼のレトリックの森を彷徨いたいと思う。

年間自殺者3万人の日本、見えないところで「愛」と「死」は交錯し続けている。

さきの言葉を次のように置きかえるのも、劇の力ではないだろうか。

「最高の瞬間の表現は、愛に俟たなければならない」


■スタッフ


演  出・・・・・・・・長野 和文

美  術・・・・・・・・岸本 真寿美

照  明・・・・・・・・大野 道乃

音  響・・・・・・・・福沢 秀明

衣 裳・・・・・・・・井上 美千代

舞台監督・・・・・・・・池の下工房

企画制作・・・・・・・・池の下


■キャスト


六条康子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・井上 美千代

若林光/青年 吉雄・・・・・・・・・・・・・・いづみ スミオ

葵/狂女 花子・・・・・・・・・・・・・・・・・青木 五百厘

看護婦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鬼頭 理沙

老嬢 実子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・梅澤 良太


◆協  力


高津映画装飾株式会社


◆助  成


平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業


PROFILE