18世紀フランスの文筆家ディドロの著作に「盲人書簡」という本がある。
日本語訳が岩波文庫から出ていたが、ずいぶん前に絶版になった。
この「盲人書簡」は、生まれながらの盲人が手術によって視力を得たときに
見える世界や盲人特有の感覚について書いている。寺山の「盲人書簡」と
直接むすびつくところは少ないが、この本の読後感からこの芝居は
つくられたのだろう。
内容的には、むしろボルヘスの「伝奇集」からの影響が多く見られる。
とくに感じられるのは、存在と記憶に関する概念についてである。
たとえば、通常モノを見るとき、ひとは同時にそのモノについて記憶する。
そして時間が経ってからでも再び思い出せば、そのモノを認識できる。
ところが「伝奇集」の中に出てくる架空の惑星の住人たちは、モノを見ても
その瞬間は認識するが、ひとたび忘れると、再びそのモノと巡り合っても
同じモノと認識できない。1週間前になくしたコインを1週間後みつけたと
しても、同じコインだと認識できない。さらには忘れ去られたモノたちは、
その存在自体が希薄になっていく。
寺山の「盲人書簡」では、この迷宮のごとき存在に対する観念をさらに一歩
進めて、モノが見えないとしたら記憶は一体どうなるのかといった世界を
描いている。闇のなかの記憶。暗闇では、モノの形は消える。自分と他者と
の境界線が消え、自らの存在が希薄になっていく。そして記憶する形もなくなる。
闇を生きることで、過去の書きかえは可能ではないか。
「実際に起こらなかったことも歴史の裡である」
「見るためにもっと闇を」という逆説は、現代社会におけるさまざまな闇を
思い起こさせる。ネット社会のなかに潜む広大な闇。3万人の自殺者のこころ
の中の闇。未来に対する漠然とした闇の広がり。
でも、闇というのは果たして暗いばかりだろうか。もしかしたら眩しすぎて
何も見えない、そんな闇もあるのではないか。真っ暗闇でではなく、真っ白闇。
日本人はそんな闇をきっと見てしまったのだろう。そのような光の闇のなか、
1億人は目をつぶり、歴史は終わり、細切れにされて1億個人の記憶の闇へと
消え去った。
そのときから日本はあやふやな記憶のしじまを生きる東洋の孤児となったのである。
■スタッフ
演 出・・・・・・・・長野 和文
美 術・・・・・・・・朝倉 摂
照 明・・・・・・・・大野 道乃
音 響・・・・・・・・福沢 秀明
衣 裳・・・・・・・・・美坂 公子
舞台監督・・・・・・・・杉野 信之[PRAX-GARDEN]
企画制作・・・・・・・・池の下
■キャスト
鬼頭 理沙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上海私窩子(妹)
小出 達彦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・明智小五郎探偵
稲川 実加・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黒蜥蜴/あやつり少女
飯田 武・・・・・・・・・苦力1/真田少佐/男1/「影を売る店」主人
岩切 チャボ・・・・・家庭教師/もう一人の身許引受人/鏡配達人/苦力5
高橋 優太(万有引力) ・・・・・・・・・・・・・・白痴令息/苦力4/包帯人間
美斉津 恵友(花組芝居) ・・・・・・・・・・・・・・・・少年探偵団 小林芳雄
大桑 笑生(エムズプロモーション)・・・マサコ/看護婦/もう一人の影を踏まれた少女
井口 香(テラ・アーツ・ファクトリー)・・・・・・上海私窩子(姉) /娼婦/あやとり少女
高槻 純((有)ディメンション) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・小林芳雄の母親
羽衣堂 彩・・・・・・・・・・・・・・・・・・影を踏まれた少女/令嬢
岡野 大生(イマジネイション) ・・・・・・・・・・・苦力2/犬神博士助手/男2
八木 光太郎・・・・・・・・苦力3/犬神博士/殴られ屋/唖下男/男3
◆協 力
イトウ舞台工房
高津映画装飾株式会社
◆助 成
芸術文化振興基金助成事業